ヨシ整骨院 院長 南原 義幸

- 出身地
- 大阪府東大阪市寿町
- 生年月日
- 1985年2月6日
- 血液型
- B型
- 国家資格
- 柔道整復師
- 好きな食べ物
- もも、水ようかん、おいしいお肉
- ニックネーム
- ヨシ ヨッシー
ヨシ整骨院を開業するまでのエピソード
幼少期
3人兄弟の末っ子に生まれ昔は何も考えず笑って過ごしていました。
負けず嫌いで誰にでも挑戦していた記憶があります。
青年時代
僕が通っていた小学校はとにかく戦争の勉強や授業が多い学校でした。
毎日戦争の話や運動会までも戦争を表現した演技が多くありました。
その先生たちのお陰で世界でいつも食料に困っている国やカメラマンが現地で写真を取ってその後子供たちに何をしたかなどを色々と話し合ったりした記憶がのこっています。
小学6年生の時に ちびまる子ちゃんの映画を観ました。
大野君と杉山君が世界を旅する映像に
僕もいつか、貧しい人を助けて世界を旅する冒険家になりたいと強く思いました。
その時何をして人の役に立ちたいか考えた時に日本料理をするなどしかおもいつきませんでした。
その時はただの将来の夢でしたが。毎日サッカーをして学校が終わって塾で勉強していました。
中学生になり野球部に入り 初めて経験する野球に戸惑いながらも、毎日頑張っていました。
投げるのも打つのもへたくそでしたが 毎日努力してレギュラーになるまで練習して。レギュラーになることができました。高校は陸上部に入りヒザを悪くして整骨院に通うようになりました。
その時に薬じゃなく『手』一つで膝の痛みが取れ体が楽になることを覚えました。
高校卒業後はシャープの下請け会社に入り、働いていましたが将来が見えませんでした。
その時たまたま父親の紹介で整骨院の先生に出会い 専門学校に行くことを決意しました。
専門学校時代
専門学校に入学してすぐに整骨院で働きました。
私の通っていた専門学校は、中国で解剖学実習に行けるコースもありましたので 入学してすぐに中国へ研修にいきました。
初めての海外は想像以上に楽しかったですが初めて人体の解剖を目にした時は衝撃的でしたが全てに感謝してしっかりと勉強させていただきました。
そして中国の技術のすごさに驚かされました。まだ素人だった僕には憧れるぐらいの触診と判断力のもった先生でした。
帰ってすぐに復習と予習をして もっと人を治せるようになりたいと思い勉強にはげみました。学生時代から多くの骨折・脱臼・捻挫・挫傷などの勉強を毎日しました。分からない事は調べて、そのくりかえしでした。
どーすればもっと患者さんが元気になるのか?そのことばかり考えて勉強していました。
施術の勉強ばかりして肝心の学校の勉強は苦手でした・・・
でも絶対に国家試験に合格してやる!!そんな気持ちの中 毎日夜勉強して 睡眠時間を削るぐらい勉強して無事に合格する事ができました。
修業時代
柔道整復師の国家資格を取得後、整骨院を任されるようになりました。自分で患者さんを施術していましたが、骨折・脱臼・捻挫などのケガで来院する人もいましたが、腰痛や肩コリ、肩の痛みや手術をされて苦しんでいる人などの慢性的な症状で来院される人の施術にももっと力を入れたいと思い勉強会に参加しました。
そして慢性症状の患者さんが「先生楽になったよ、ありがとうね。」と喜びの声を頂き、その声が当時の私の原動力でした。
当時の整骨院の施術時間は7分だったので
「こんなに一生懸命施術をしても7分では今の自分では無理だ」
と思い今まで以上に一勉強するようになりました。でももっと長い時間施術をしたいと思うようになりました。
院長に相談しても
「ここは俺の整骨院やから、自分で開業したいと思った時にやりなさいといわれました」
でも、自分ではまだまだ知識も技術も中途半端だとまだ開業する勇気がなかったのでさらなる進化を求めて病院に転職しました。
病院に転職して勉強はたくさん出来ました。でも勉強ばかりして人間力の低さに気づき小学生の時の夢だった世界一周に出ようと決意しました。
「自分の技術をためしたい」
「もっと感情的に厚くなりたい」
「もっと人の痛みをわかりたい」
「色んな世界を体験して色んな文化に触れたい」
そんな思いがどんどん強くなり、旅に出ることにしました。
海外で得た経験
最初に訪れた国はフィリピンのセブ島でした。どこの国でもマッサージ病院など様々な施設があり、テレビで見る世界と現実世界の違いに興奮とやる気に満ち溢れました。
僕は椅子1つと看板をもってFREE MASSAGEと書いて路上で施術しました。
かなりのギャラリーと人が集まりました。フィリピンの人にとても気に入っていただけました。
その数日後は孤児院を訪れました。孤児院とは自分の人生に全く無縁のない場所でした。親のいない子供たちを育てる母親代わりの女性は母親以上の愛情を子供たちに与え本当の親子にみえました。子供たちが毎日楽しそうに生活をしている姿に感動しました。僕は全く英語が話せませんでした・・・次にオーストラリアに行きました。
場所はダーウィン。ここで英語がほんの少しだけ話せるようになりました。毎日マンゴーを何万個もとって仕事が終わればみんなでご飯を食べて そして疲れてるメンバーを施術・・・マンゴーファームでは僕は先生的な扱いをしてくれました。本当に最高の時間でした・・・
そっからアジア・中東・アフリカを旅しました。約30カ国旅をしました。沢山の人を施術して、沢山の人々と色々と話ししました。
自分が海外で得たこと。それは・・・
人生は心。世の中はお金です。笑
それと気持ちを込めて施術すると元気になっていただけました。
海外で出会って施術を受けてくれた人。でも施術ができるようになるまで育ててくれた、先生や患者様に感謝する気持ちをもつことができ、人の苦しみや痛みが少しでも理解できるように慣れてよかったです。
現在
これまで6年間の整骨院と一約2年間 病院・整形外科で修業しました、そして1年間3カ月の間海外で修行いたしました。多くの患者さん沢山の人と関わらせていただきました。
その中で分かったことは大きく分けて2つあります。
1つは痛みのある場所にはほとんど原因がないということです。
2つ目は症状の根本原因となっているのは筋肉や骨格のゆがみだけでなく、普段の生活習慣や食生活の乱れ・ストレスからも影響を受けるということです。
なぜなら、現代はストレス社会で、ライフスタイルの変化から身体に良いとされる生活習慣や食生活を送ることが困難になっています。
悪い生活習慣や食生活を続けることで、1番身体の変化を感じ出す40・50代で身体の不調や疲れやすさ、症状の治りにくさを感じる方が多くなってきます。特に女性ほどホルモンバランスの変化などによって身体にさまざまな異常が起きやすい時期だと思います。
当院ではこうした方々が我慢できない慢性痛や、長年の症状に悩まされているけど
「どこに行けばいいかわからない…」
「他では改善しないから…」
「もう年だから…」
と症状の改善をあきらめることなく、我慢せずに自分のやりたいこと・やるべきことに打ち込めるようになってもらいたいと思い、施術を通してもう悪くならない為の「健康教育」と、自分で予防できるようになる「健康の自立」を目標に日々患者さんと向き合っています。
なので、もしあなたが治らないとあきらめようとしているのなら、是非私に相談してください。
あなたが「健康「笑顔」になるために全力でサポートさせていただきます。
趣味
サーフィン
最初はサーフィンができたらカッコイイ!サーフィンしたいと思い始めました。最初は海にいって何もわからないままサーフィンをやっていました、すぐに波に乗れるようにはなりましたが 波のサイズが上がると毎回、毎回 波に飲み込まれるだけで 俺は何のためにサーフィンをやっているんだろうと思ってしまうぐらいできませんでした。
でも毎週毎週 先輩に海に連れて行ってもらって大きな波に立てた時には最高にしあわせでした。こんなにテンションが上がることがなかったです。
今の月に3回ぐらい波乗りしに行っています。